すべては 必然①
ゲストは、AI-am のよっぴー&まりんさん親子。
今日ね、お二人の運営するオヤトコ発信所の HP にこんな記事があったんだよねー。
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デモクラティックスクールで勤めていた頃、
デモクラティックスクールに通っていても、家庭が「デモクラティック」じゃないと、純真な自分花は咲かないんだ… ってことを痛感した。
(文中、省略)
まずは、親自身が過去から自由になんないと、自分を、そしてこどもを、抑圧させっぱなしになる。
親自身が、「わたしはわたしでいいんだ」としんそこから そう思える 愛あふれる時空を経験しないと、自分を受容するということから「数字」は消せない。ジャッジは消えない。
引用:
デモクラティックホームとゲストハウスを足したような「おうち」を大阪でつくる! | AI-am
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すごーく共感できるメッセージ❤️
というのも、私が体験して感じたことだったから。
もともと彼女は、2歳になる前から、フリースクール(ホームスクーラーのサポート)わくわくぴょこんに通っていたので、自分のココロに聞いて自由に暮らす、自由にあそぶことが土台となっていたのだ。
移住して、私の体調不良もあり、 週に2日くらいは島の子育て支援施設の預かり保育に通っていた。預かり保育といっても、完全に保育園だ。
大人の「片付け」の一言で、片付けが始まり…
季節の行事にイベントがあって…
季節の製作をして…
食事中は話をしないというルールがあって…
誰が1番に食事を終えられるか競い合って…
良し悪しではなく、ただ私がそういうことが「嫌い」なだけ。
私の中に違和感があり、家では自由、子育て支援施設(以下、保育園)では、不自由というリズムにバランスが取れなくなったとき、
鳥肌が立った。。。
実は、私もその日の前日に保育園の保育士さんに伝えていたのだ。
「3月いっぱいで退園します。」
歩いて、10分以内にたどり着く保育園。
でも、途中10匹以上のネコに挨拶をして、坂道駆け上がって、石垣でプリンセスごっこして、菜の花摘んで、歌をうたっていたら…
時間までに登園できない。「やっぱり行かない」の日が続く。
でも、欠席連絡する時間は過ぎてるし、ノー天気な私はいつも携帯不携帯。
イライラ。モヤモヤ。どうしたら心地よく過ごせるのか?悩んでいた。
そんな日々の中、私はこのトークライブの企画を進めていたんだよね。
1番に出てきた感情は、「あー良かった」という安心感。自分で自分の暮らし方決められていいやんって❤️
でも、すぐに出てきた感情は…
「こんな100人の小さな島で、子どもを保育園に通わせないなんて言ったら、みんなに何て言われるか…ひとりぼっちになるのでは?!」という恐怖。他人の視線。
頭の中で思考がグルグルぐるぐる。
長くなるので、続きは次のブログで。