恐れを手放して、愛に生きる!
前回、前々回ブログからの続き。
私の恐れていた、
『保育園に行かないことで、この島で“ひとりぼっち”になるんじゃないか』
という不安。
そもそも、人間は、ひとりぼっちだし、好かれもするし嫌われもする。そして、孤独なものだと思っているのに、いざそんな思考が出ると、自分で悩みをつくる。(笑)
この島の人は、子どもたちが保育園に通っていても通っていなくても、私たちを温かく見守ってくれているし、そもそも保育園に通っていないことを知らないかもしれないし、日中時間が自由になったことで、より島の人たちとおしゃべりしたりする時間が増えたのだ。島の野菜や果物をいただいたり、子どもの洋服やおもちゃもいただいたり…子どもが作ったクッキーやおはぎを届けに行ったり…交流が増えたのだ。
全ては、私が“悩み”をつくって、勝手に悩んでいただけなのだ💦
悩んでいた私は、なんだったんだろうと思いながら、自分と会話していたら…
『愛』を知るための作業だったのではないかというこたえが出てきた。
どんな暮らし方をしていても、私たちを見守ってくれているという人びとの「愛」❤️
私の中に「わたしがわたしを生きる」と決めた覚悟への宇宙からの「愛」❤️
自分を大切にすることへの自分自身への「愛」❤️
たくさんの「愛」に囲まれて生きてることを感じて、
ココロがじーんと熱くなった。
そして、感謝の氣持ちでいっぱいになった。
それでね、話が2つ前のブログ記事に戻るんだけど、
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デモクラティックスクールに通っていても、家庭が「デモクラティック」じゃないと、純真な自分花は咲かないんだ… ってことを痛感した。
(文中、省略)
まずは、親自身が過去から自由になんないと、自分を、そしてこどもを、抑圧させっぱなしになる。
親自身が、「わたしはわたしでいいんだ」としんそこから そう思える 愛あふれる時空を経験しないと、自分を受容するということから「数字」は消せない。ジャッジは消えない。
引用:
デモクラティックホームとゲストハウスを足したような「おうち」を大阪でつくる! | AI-am
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私は、海が「保育園に行かない」という選択をしたことで、
たくさんの氣づきと
たくさんの愛を感じたんだ。
ありがとう!
その「愛」を感じきったときに、
よっぴー&まりんさんの記事を見て、シンクロを感じ、
10日後にトークライブ開催という完璧な宇宙の流れに感激している。
すご〜く深いタイトルだけど、一緒に自分と向き合う時間にしませんか?
ぜひ、お待ちしています🎵